◇ 巡り

なぜ、僕たち二人が選ばれたのか。

対象は、研究を大きく飛躍させる可能性を持つ色魂。
年齢も実績も低い駒だけに任せていい、仕事ではないはずだ。
即刻始末できる人員にしか明かせない、機密でもあったのか。
―― エルフス教授の意図がわからなかった。
けれど、讃者の言葉にふと思い立つ。

意図などないのかもしれない。
あるのはただ、御女神が示した”巡り”のみ。巡り合わせは、運命のしるべ役として選ばれたウィルとアリスを接触させた。上手くはいかなかったけれど。
それならば、僕が代行するべきなんだろう。
ウィル兄がすべきだった役目を。

セクレ聖堂に駆け戻ったシオンは、正面口を勢い良く開き飛び込む。
いくつか見知った顔と目が合う。
ウィル兄が消えた今、エルフス教授――父親の思惑に従わなくてもいい。 自分の意志で選ぶ。体の内からシオンは“ウィルス”を呼び覚ました。

・・・

「シオン!?」

答えは返ってこなかった。辺りを見渡すも姿はない。
代わりに、前触れなく悪寒が這い上がってきた。

――なんで。

気温でも下がったのだろうか。寒い。

――まさかウィルみたいに消えたってこと、は、

急速に体の熱が消えていくようだった。
それよりシオンを探さなくては。
気持ちを切り替えようとしたアリスの耳に、耳鳴りのような音が響いた。

――また魔に似……――――ッ

考えが追いつくより先に、激痛が走った。体の内側から反響するように広がる痛みに見開いた目は一瞬で焦点を失う。 視界が白濁し、遠ざかる。
体は地面に叩きつけられ、衝撃が脳に直接響く。薄く開いた目に、ふたがとれた色ビンと漂いでる色の粒が見えた。 長い時間をかけた研究が、消えていく。

――パパ。だめかも。

霞む意識の中で、アリスはなんだかよくわからない、
奇妙な覚悟を決めた気がした。真っ白な夢が意識を覆っていく。


『アリス』


永遠に続きそうな空白の中に心地よい呼び声が聞こえた。耳が、あたたかい。
そっと目を開けた。焦点は定まっている。痛みも、ない。けれど。

――中身、消えちゃった、か

地面に落ちた色ビンと取れてしまったふたをポケットに収め、よろめくように立ち上がった。 景色が、変わっていた。
変わっていないのは、セクレ聖堂と噴水だけだ。

「ぜんぶ、枯れてる……」

アリスが気を失った一瞬の間に、草木が朽ちていた。

――どういうこと?シオンは。

周囲を見渡すと、草木は進行形で枯れていた。その中心点は、セクレ聖堂。

「ソアラさん」

不安げな声で呟くと“王都へ”と言った声がよみがえった。
けれど肝心の色ビンの封は解かれ、今行って意味があるのかすらわからない。
王都へ行くべきだろうか……シオンを置いて。それもいいかも知れない。なにせ一時休戦の敵だったのだから。
けれど、シオンは苦い顔で命令を無視したこと肯定した。
ここで、関係を断ち切れば――アリスの裏切りにならないだろうか。
いや――多分、信用したいのだ。それは隣に立っても遠い、父にもらえなかったものだから。 この短時間に姿が見えなくなったということは、ウィルのように消えるか聖堂にいるしかない。
せめて確認だけはと、アリスは聖堂へ向かって走った。

正面口の戸を開く。そこには、檻の中にいるシオンが立っていた。
周囲を見渡すと、服を纏い、薄く皮膚を張った骨がごろりと転がっていた。

……ひとも、枯れていた。シオンを除いて。
彼は無表情に格子に指先を這わせていた。縦に並ぶそれはまるで糸のように細い。強度を確かめようと手を伸ばす。
なににも触れなかった。シオンの指は確かに触れているのに。注視して気づく。

「シオン、指――血がでてるわ!」

まぼろしの檻に触れば触れるほど、さらに血が滲んでいる。思わず腕を引き、檻から引っぺがす。 無表情のシオンがアリスを見た。 ――左目が、ウィルのように赤く染まっていた。 ウィルの時には危機感を覚えたモノクロに浮く赤。けれど湧き上がる恐れは、以前のように自分の身を案じてのものではない。

「ウィルみたいに、消える……の?」

尋ねる声に答えはなく、崩れるようにしてシオンは気を失った。
ささえるアリスの腕の中から消えはしなかった。

・・・

セクレ聖堂を中心に、生物的なものはすべて生気を吸われたように枯れていた。 アリスの背以上の丈で行く手を阻んだ草も地面にひれ伏している。
慌てて出てきたので確認はしていないが、人もおそらくはそういうことなのだろう。 周囲を一通り確かめて噴水に戻ると、シオンが目を覚ましていた。左目は元の灰色だ。
アリスは歩きながら集めてきた枯れ枝に火をつける。驚くほどあっけなく黒い炎が上がった。 その上に三脚と小鍋を置き、噴水の黒い水で湯を沸かす。

「具合悪いところ、ない?」
「- - - 」
「え、なんて?」
「― ― ―」

近距離なのに、言葉が聞こえない。むしろ、これは。

「- - - - - - ?」

音自体が聞こえていない。
ぞっとしながらそれを伝えようと口を開いた瞬間、閃光が走った。
瞼を伏せたアリスから悲鳴、目の前を腕で覆ったシオンから低い呻きが漏れる。 目を開ける。
四つの色彩を纏った光がそこにあった。
情けなく口を開いて呆然とするアリスの視界の端で、シオンが腕を下ろし同じように呆然となる。
青、緑、黄、赤の四つ、父の研究室で最初に見た、色魂の色。

『アリス』

四つ重なる声、どこかで聞いたことのあるような。

「だれかいるのですか」

シオンが冷静に聞いた。

「―― 幻聴、じゃない?」
「いえ、確認してからでないと」
「まあ、そうだけど……」

不服気に眉根をよせるアリスに、シオンはかすかに微笑んだ。

「やっと会話になりましたね」

一時休戦の敵が、初めて笑った。和解の印ととっていいのだろうか――いいことにしてしまおう。 呻くような父の返事を平常として受け止めてきたけれど、なにかが満ちていく感覚に、こういうものに飢えていたのだと気づかされる。
ぼうっとしてしまったアリスの様子を、なんのことかわかっていないのだと捕らえたシオンはいつもの起伏の少ない声で付け加えた。

「――さっきまで聞こえていなかったようなので」
「あ、うん。――なんだったんだろう」

回答が考えないようにしていた声で降ってきた。

『ワタシタチ ガ 耳ヲ閉ザシタ カラ』

幻聴にはしてくれないらしい。硬直する二人の間にいた四つの色彩が目を引くようにくるくると動き、アリスの目の前に停止する。

『ハジメマシテ、アリス。ワタシタチハ色ヲ司ル精霊、風ニ属スルモノ』

声がでないアリスに、シオンが尋ねる。

「色ビンは?」

ポケットからひもをひっぱって取り出す。ふたを失ったただのガラス瓶が頼りなげに揺れていた。

「ということは、やはり色魂……ですか」

肯定が四重奏で返ってきた。

・・・

四つの色彩を纏った光の玉たちは、個体名を持っていた。青いものがスイ、緑のものがリド、黄色のものがコウ、赤いものがレカ。
彼らはいわば色の親玉で、本来ならば『色の集う町』という場所で様々な色彩を生み出しては風に乗せ、青の谷全域を色で満たすのだという。 今、青の谷がモノクロになってしまったのは、彼らを色の集う町からはじき出されないようにする役目のものがいなくなったからだ。
その役目を持つものを彼らは『風』と呼び、『風に属するもの』である彼らは、それがいなければ色の集う町に帰れないのだという。

「家に帰りたいけど、風の鍵がない、と」
『ソウ』

アリスは三脚の上で煮えた雑炊を椀二つによそって、片方をシオンに渡して早速つつき始めた。
ふと気がついて色魂にもすすめてみたが、そういったものは必要ないらしい。不思議生命体らしく便利な体のようだ。 シオンはもともと口数が多い方ではなかったし、アリスは冷ますことに口を使っていたので食べている間は静かだった。
一通りお腹が落ち着いてから、アリスは干し肉を取り出しあぶり始めた。

「そういえば、さっきわたしの耳塞いだのってあなたたちだっていってたわよね。どういうこと?」
『危ナイ音色、アリスヲ吸イ込モウトシタカラ』
「危ない音色?あの、魔に似た感じの……それこそ幻聴だと思ってたんだけど」
『魔術ト科学ガ混ジッタ音、命ヲ吸ウ。ダカラ耳ヲ塞イダ』

相槌を打ちながら、説明を諦めようとしたアリスに助け舟が入った。

「ウィルスです」

一言言ったあと、シオンは黙った。パチッと爆ぜる音がしたので、焦げかけた肉を火から離す。
アリスは一つをシオンに渡し、何事もなかったように冷ましながら食べ始めた。
シオンは無意識といった動作で口に運んだかと思うと、すぐに口から離した。熱かったらしい。 笑ったアリスに、シオンは決まり悪げに微笑んだ。

「少し長い話になるかもしれません」

アリスは首をかしげながら頷いた。

「アリスが聞いたその、魔に似た音の原因は僕です」

意味が飲み込めていない表情でアリスは先を促がす。

「僕とウィル兄はエルフス教授に“ウィルス”を投与されました。本来使える者同士にしか影響を及ぼせない“魔”を、 普通の人間にも影響させる力がウィルスです。アリスは”魔”がどういったものか、ご存知ですか?」

「……そういえばちゃんと知らないわ。不思議な力ってぐらいで」

「”魔”は変幻自在のエネルギーです。通常は地中にある魔の地脈を流れていて、魔を使える者は地脈からエネルギーを 組み上げることが出来る。魔使いはその地脈の延長。動く地脈と言った方がわかりやすいでしょうか」

「体自体がエネルギーの通り道……ってこと?」

「はい。魔を使えない生命は、生命の波長が魔の波長と折り合わないので、はじくことができ、本来は魔の影響を受けません。 エルフス教授がしたのは、折り合う波長を生成するウィルスです。波長が折り合えば、魔が体を通過する」

「エネルギーが通るだけなら、魔使いと一緒じゃない。それがどうかするの?」

「表面上波長が折り合っても、普通の人は魔使いのように抵抗力がない。魔が通過すると同時、生命を吸われて枯れる」

枯れた木々や、人を思い出してぞっとしたアリスに、シオンは手当てされた指先を見せた。

「もしかして、あの檻……その波長の音をだしていたの?」

「ええ。魔の力を頼っているので幻ですが。僕たちは自分の意志かエルフス教授の意志でウィルスを呼び覚ますことができる。 レカのような目になっている時は、ウィルスが効力を及ぼしています」

呼ばれたことに反応して赤い色魂が頷くように動く。

「教授との実験ではある程度制御できていたのですが……ウィルスを制御するのは難しいようです。もしかしたら今回もまた失敗だったのかもしれません。 ですから、アリス。次にそうなった時は逃げてください。エルフス教授に影響がでる範囲になれば、教授自身が止める」
「止めるって……」
「作ったのはエルフス教授です」

言いよどむシオンを、アリスは辛抱強く待つ。

「大元を潰す方法が教授にはありますから。そういう意味合いでウィル兄のことを感謝してます」

虚を突かれたようなアリスに、シオンは苦笑しながら言い添える。

「ウィル兄は一つ失敗をして……情に流されたのが原因だったので、僕が受けるはずだった感情抑制の実験体になったんです。 おそらく自分の意志を手放すまいと戦っていのだと思います。でなければ、アリスにやられてしまう人ではないから」

聞くアリスは苦い顔だ。

「ラッキーだったってことね」
「はい、ウィル兄にとっても。ウィルスの命令に従ってアリスを仕留めたら、次は逆らうウィル兄の意識がエルフス教授の思惑を、 つまり色魂を潰しにかかる。そうしたら、教授はウィル兄を、殺したと思います」
「え……?エルフス教授も隠れていたの?」

シオンは困ったように笑いながら首を横に振った。
「ディトーハの目をいじって遠隔監視カメラとして使っていたんです。水場と光が苦手なので、遠くの木陰にいましたが監視には 十分。ウィル兄が反意を見せれば、もともと体に埋めておいた魔の毒で、始末する」

それじゃまるで道具だ、とアリスが非難する。――シオンは答えなかった。
居心地の悪さにアリスはお茶を沸かしはじめたが、慌てて振り返る。

「まって、じゃあ今も監視されてるんじゃ……」
「いえ、ウィル兄が消えたときの発光で死んでしまいましたから。ディトーハは光が苦手ですからね。特に急激に強い光を浴びればショックで死に至る」
「そっか」
「監視が絶たれた時に、控えさせていた増援を動かすよう指示したのでしょう。代わりのディトーハもすぐには来ません」

アリスは頷きながらお茶を手渡す。熱いから気をつけてと言い添えながら。
一口すすってからシオンは話を続けた。

「ここからが、本題です。僕も詳しいことはわかってないので頼りない話なのですが」

アリスは首をかしげる。今のが本題ではなかったのか。

「ウィル兄が消えたのは多分、御女神が自身の手中に回収したと思うんです。御女神のことは知っていますか?」

アリスは首を横に振る。

「運命を司る女神だそうです。ウィル兄は御女神に『青の谷のために創られた運命の導役』を要求されていました」

アリスは口をつけかけたカップを下ろす。

「ねぇ、それ……ソアラさんが言っていたのと同じ……?」

「ええ、ウィル兄が関わっていたのはおそらく色魂にまつわる運命だと思います。色ビンを奪うのに僕ら二人が選ばれたのは、 御女神の意志が働いたと考えれば合点がいく。けれど感情制御されていたウィル兄に役目は果たせなかった。
また使えるようになったら駒として活用するつもりで一度存在を回収したのでしょう。 あのままだと、ウィル兄はエルフス教授に反意を示し、殺されていました――だから、アリスには感謝しています」

「そんな……殴って礼を言われるのは気持ちが悪いわ」

それは確かに、とシオンが笑う。

「ウィル兄が接触したということは、この『巡り』の鍵はアリスだと思う。だから僕はウィル兄の代わりをしようと思っています」

意外そうな顔をしたアリス。シオンは目をそらしてお茶を飲む。 意味を飲み込めないアリスの視線に耐え切れず、結局シオンがしぶしぶ口を開く。

「ウィル兄は勝手に負い目があって、だから勝手に僕に借りを作った。返さないと割に合わないんだ」

アリスはしばらく考える風に黙り、うかがうように尋ねた。

「えっと……一緒に王都に行ってくれるというか、その、
これからよろしく、で、いい?」

その様子があんまりにも恐る恐るといった風だったので、思わず笑ってしまってからシオンは肯定した。


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