◇ 色を司る者




「色ビ――」「わ、渡さないわよ」

答えてからアリスはシオンの手がウィルと同じくポケットに忍ばされていることを確認した。
水筒を握り締める。もう水は入っていない。なんとかウィルのようにはいかないだろうか。

「色ビンが一体なにに使われるのか、知っていますか」

シオンの声は落ち着いている。そこに、ウィルに感じた奇妙な畏怖はない。

「さぁね」
「答えによっては、考えます」

アリスは沈黙を守る。

「なぜか僕ら二人が指名された。その理由になる“巡り”があるとすれば、色ビンにあると思っている。 色ビンの“巡り”がエルフス教授のそれより強いものであれば、そちらに加担しなければならない」

「巡り?」

「定められた大局に向かうまでの経緯。 “異常な才をもつ教授”と“地下に住む研究者”。 どちらの要望を通すのが、より大きな巡りに沿うものなのか」
「?――仮にパパに大きな巡りとやらがついていたとして、あなたに選択権があるわけ?」
「先ほどまでは、いいえ。今は、はい、ですね」

いぶかしむアリスの表情にシオンが答える。

「あなたがもう一人を八割ほど殺してくださったので」
「嫌味?」
「いいえ。――色ビンは、一体どのように使われるものですか」

話が戻ってしまった。唇を引き結んだアリスの耳に、特定の場所を知らせる鐘の音が聞こえた。
振り返ると、噴水の向こうに建物が見える。
慌てて頭の中の地図を思い出す。目印の噴水。その奥に――セクレ聖堂。
……ゴールがそこにある。

―― 目の前のものを処理できたら、ってことね。

シオンの手は依然ポケットに入ったまま。逃げ出しても捕まる恐れが高い。
『アリスに頼みたいのは、色ビンをゴズロップ山脈の麓にあるセクレ聖堂に持っていくこと。 そこに住む讃者さんじゃ・ソアラ殿に見せてほしい』
渡すだけなら、なんとかなるかもしれない――
研究の成功に繋がるかは別にして。

「わたしがわかっているのは、コレが『色』をよみがえらせるものってことだけ。 その他のことは、これから聞きに行くのよ――そこの聖堂の讃者さんに、ね」

アリスには長すぎるほどの沈黙の後、シオンは無言でポケットから手だけをだした。一時休戦。目的は同じ。

……切り抜けた。
「シオンって言ったわよね」

無言の肯定。

「なんで“巡り”っていうのに加担するの?」
「――――……。」

切り抜けたとはいえ、所詮休戦状態。交渉に直接不必要な問いは受け付けないらしい。 無言で歩き出した背を追いながら、アリスはふと思いつく。

―― わたしも色ビンの『巡り』に加担していることになるのかしら。


・・・


セクレ聖堂。
その領地内にある簡素な小屋に案内された二人は、白髪の老人に茶をすすめられた。 どことなく気配が薄く、地に足が着いていない雰囲気を持つこの老人が讃者・ソアラだという。

「アリス、じゃな。――母君とそっくりじゃの」

一瞬二の句がつげなくなったアリスをシオンが不審気に一瞥する。

「――母を、ご存じ、でしたか」
「よぉ知っておる。アリス、お前さんがここに来たということは父君は研究を終えたのじゃの」

……話が早い。――早すぎる。

「ソアラさん、に、成り代わっていたりしません?――エルフス教授とかの使いで」

ソアラは――軽く微笑んだだけだった。懐からゲーム盤の駒をだす。白と黒の二つだ。

「色の話をしようかの。まだこの周囲には白黒のコントラストがある。 じゃが、現状を見て今後を想定すると明度が消えてやがて白は黒になるじゃろう。 やがて、黒一色。自分と他人、周囲との境界が見えなくなり狂ってしまうじゃろうの――」

駒を黒二色に置き換え、その上から黒い布を被せてみせた。その動作に、アリスの直感が働く。

――ソアラさん、急いている。なんで。

「色ビンの中身はの、すべての色をつかさどっておる。黒の滅びを遠ざけ、失われた色彩を大地の記憶から 引き出して、この世に戻す。  そして、アリス。お前さんが」

目尻を柔らかく細めて、讃者はアリスを見据えた。

「お前さんがそのすべてを握っている。」

「……この色ビンがカギってことですか?」

「そうじゃの。しかしアリス自身も、なのじゃよ」

「で、でも、パパは色ビンをソアラさんに見せろって――それだけしか」

不意を打たれ、うろたえるアリスをよそに、讃者は窓の外を一瞥した。振り返った顔は打って変わり厳しい。 怒られる、ととっさに口を閉じる。

「やはりなにも聞いておらんのじゃの。――時間が必要なようじゃ。アリス、王都へ行きなさい」

きょとんとした二人の客人をソアラは立たせる。

「そこで背負っているものがなんであるか、“巡り”の中でなにを選択するか決めておいで。わしはここで必ず待っておるからの」

ソアラは裏口をあけ、二人を外にだす。決して怒った風ではない。
なのにティーカップから湯気も消えない内に、追い出すかの行動。

「あの、“巡り”って――」
「“運命”、じゃよ。この青の谷のために御女神がこさえた導じゃ。色を見つけたら戻ってくるのじゃよ。――さぁ、逃げるんじゃ!」

訳がわからず突っ立つアリスの背を、何か感じたらしいシオンが強引に押す。不安げにアリスがシオンを見ると、先に行けと目で急かされた。 疑心暗鬼になりながらも駆け足の一歩目を踏み出したところで、背後に無法者の気配。
脅し叫ぶ声の切れ端に“色ビン”と聞こえた。

――狙いは“コレ”……?

懐をおさえて一人残った讃者を振り返る。シオンの走れという目線に射抜かれた。

「あんたの仲間じゃないの!?」

眉根をよせて頷くシオン。

「じゃあなんで、わたしを捕まえて戻んないのよ。色ビンがなにかって話はもうわかったじゃない!」
「巡りに逆らう」

―― また、“巡り”だ。

讃者もシオンも“巡り”という言葉をキーワードであるかのように使った。

『この青の谷のために、御女神が作った導』

巡り、または運命。それはだれのためで、なにのため?
青の谷のためなら私達ではなく、青の谷そのものが従う道のことではないの。

「でも仲間に逆らったらマズいこ――――……え?」

そこに、シオンはいなかった。

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